裁判員への説示
裁判員への説明案:「合理的な疑い」って何ですか?
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070512i1w6.htm?from=main1
こうした用語の意味、概念等を説明する上で、個々の裁判官や検察官の用語に対する認識にブレがあってはならない。
アメリカの刑事陪審制度における誤った説示の危険性や陪審での誤判の例などを分かり易く紹介した文献として、
伊藤和子『誤判を生まない裁判員制度への課題―アメリカ刑事司法改革からの提言』(2006)現代人文社
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Comments
「合理的疑い」を抱いた裁判員が、仮に一人であったとき、最後まで頑なに異議を唱え続けることは、困難だと思います。また逆に、一人だけで有罪を唱えつづけることも同じかと思います。かといって、多数決で決めることが正当化されるわけではありません。
評議する時間そして日数に限りがなければ、裁判員にとことん議論してもらいたいとは思いますが、それはあまり現実的ではないでしょう。
最後におっしゃった「そのことが実現する制度」について考えると、「合理的な疑い」をもつ裁判員が、他の疑いをもたない裁判員、裁判官たちによって、抑圧されないしくみをつくることが必要だと思います。
Posted by: うと | 2007.05.18 at 07:43 PM
確かにおっしゃるとおりと思います。しかし、重要なのは、概念に対する認識・理解だけでなく、制度がこのような理念を体現しうるものかどうかではないでしょうか。
近年の議論で明らかなように、「合理的疑い」を誰もが分かるように説明することは困難です。
その内容を正確に定義することも重要ですが、重要なのは制度として「合理的疑い」を有罪を否定する「合理的疑い」として機能しうるようにすることでしょう。その意味で、私は評議の全員一致が重要だと思います。単なる多数決でなく、全員一致とすることで、一名でも「疑いを抱いている状態」が、「合理的疑い」があるということを意味するからです。
その意味では、やはり裁判員制度には疑問があるように思います…。重要なのは、その人が抱いた「疑い」が「合理的疑い」であるという点であり、そのことが実現する制度づくりではないでしょうか。
Posted by: 斎藤 | 2007.05.14 at 08:04 PM